疎外感の中、母と娘2人にはお互いしかいない。破天荒な母親でも 2人で仲良く生活する幸せもあるかと。しかし、ネグレクトはエス カレート、完全に親が悪く、堕ちていく子どもがかわいそ うで。
マリオン・コティヤールが自堕落な役をそれらしく、魅力的に演じ る。無責任で 大人として親としての自覚がなく、誰かにすがるように羽目を外し ては、落ち込む、娘に対して愛情を込めた言葉をかけては、当たり 散らすように怒鳴る、感情の起伏の激しさ、どうしようもない母親 マルレーヌ。娘のエリーは大好きな母のことをじっと見ている、そ して母の真似をする、痛々しさ。
南仏の海辺の町が美しく、心苦しくも 海が意味を持つ。最悪の方向へと向かった結果、変化は起こったが 、解決したとは言えない、後味の悪さが残る。
向かいの家の人は現れないままでよいのか?エリーを助けたフリオ の父息子の問題が解決していない、というより、 それなら向かいの人の設定は不要では?ただ、隣人の家族だから エリーとフリオの接触がある。フリオの人物設定の背景も中途半端 に思えたが、クライマックスにつながる。周囲から孤立し、寂しさ をうまく解消することのできない人たち。
登場人物の年齢が違うから 状況も少し違うものの、ア メリカ映画「フロリダ・プロジェクト」に内容が似ている。どちら かというと今作の内容のほうが状況はひどいと観えるが、極めて自 然な演技と設定の「フロリダ・プロジェクト」に映画としては勝 らないかと。マリオン・コティヤールが有名女優というのもあるが、 それが問題ではなく、この映画のほうがつくられた演出を感じるから。
マリオン・コティヤールが自堕落な役をそれらしく、魅力的に演じ
南仏の海辺の町が美しく、心苦しくも 海が意味を持つ。最悪の方向へと向かった結果、変化は起こったが
向かいの家の人は現れないままでよいのか?エリーを助けたフリオ
登場人物の年齢が違うから 状況も少し違うものの、ア