
Director:
Edouard Delucフランスでの少々の前置き後、舞台は、オール タヒチ。
ヴァンサン・カッセルに何かがとりついたかのよう、 それは自然に。さすがにゴーギャンの名前くらいは知っているものの、美術に疎い私には 彼の人物像のイメージがさっぱりないので、ヴァンサン・ カッセルがゴーギャンとしてどうなのかはわからないが、 また今まで観たことのない別人になったといえる。
周囲に理解を示す者はいない、独りでゴーギャンが目指した場所。 そこで 成りゆきにより、出会ったミューズは 彼のものとなる。 多くを言葉にしなくとも 意思が通じ合っているようで、島での2人の穏やかな日々。
それは、やがて。
自給自足がやっとの生活、 彼の作品の価値が見出だされる機会も乏しく、 画家としてやっていくことの難しさ。ゴーギャンの体力と価値観でもって、 先住民との暮らしは やはり困難を極める。
2人の すれ違う、苦しさ。
ゴーギャンが再び筆を取り、タヒチでテフラを描く最後の時。そこには、彼は画家として、彼女は絵のモデルとして 決意にも似た姿があるとともに、 このまま一緒に生きてはいけないことをお互いに悟っている寂しさ を感じる。脚色にせよ、重要なシーンだ。
彼がボートで島を去って行く姿、何も語らず、 その瞳は何か言いたげで。美しい楽園に、どこか切なさが残る。
ヴァンサン・カッセルに何かがとりついたかのよう、
周囲に理解を示す者はいない、独りでゴーギャンが目指した場所。
それは、やがて。
自給自足がやっとの生活、
2人の すれ違う、苦しさ。
ゴーギャンが再び筆を取り、タヒチでテフラを描く最後の時。そこには、彼は画家として、彼女は絵のモデルとして 決意にも似た姿があるとともに、
彼がボートで島を去って行く姿、何も語らず、